「ともこちゃんに似合うと思ってねぇ」と伯母が用意していた浴衣は、モスグリーンの生地に大柄の花模様で、どこかのブランドものなのだそうだけれども、私はそのモスグリーンが好きにはなれず、花柄も私の体を舐めまわす生き物のように見えて、至極下品だった。伯母は優しいから好きだったけれども、ちょっと趣味は合わないなと思った。嫌だと思いながらも着てみたけれど、それから二度と袖を通すことなく、箪笥の引き出しにしまってある。桐の引き出しのある、こげ茶色の和箪笥。
その日は地元のお祭の日で、「ともこちゃんも踊ってみたら?」と誘ってくれたけれども「私はいいわ。観てることにするわ。」と、まだ若かった私は、恥ずかしいからと断った。蒸し暑い日だったから、骨組みのところが竹でできている薄い和紙が貼られた団扇を持ち、なれない下駄を履いて、浴衣に合わせて用意してくれていた巾着袋を持ち、夜の祭会場へと向かっていった。
伯母の家に行く時に渡る海も、船の上から見ると浴衣と同じモスグリーン。小学校の音楽の授業では「うみは青いな、おおきいな・・・」と習ったけれども、「青い海」というよりも、黒く、深く、重い緑色をしている。この船の上から私がもし落ちてしまったら、少しの間だけプカプカ浮いて船は過ぎ去り、大波に飲み込まれて死んでしまうのだろう。
そういえば、あのとき・・・もう随分と昔のことだけれど、あの男がしていたマフラーも、モスグリーンだった。後ろからやってきて、あっという間に私を仰向けにしたその男は、マフラーで顔を隠し、声は全く出さずに無言で、私の腹の上にまたがって、両手を押さえてきた。それでも私はなんとか起き上がろうとしたが、動くことは、できない。どうにか声は出たから、「助けて」とか「やめて」とか、あまりよく覚えていないけれども、とにかく、何か、声を出していた。すぐそばに一軒家はいくつもあるのに、誰も助けに来てくれない。それもそうだな・・・もう、みんな寝静まっている夜だもの。
何度も何度も叫んでいるうちに、声を止めようとしていたのだろう、男は私の口を押さえ、息苦しくて、そんな風にされながら、ああ私はこうやって処女を奪われていくんだろうな、こんなふうに処女を失うなんて思ってもみなかったけれども、仕方が無いんだろうな、もう私は死んでしまってもいい頃合いなのかもしれないな、となぜか冷静に考えていたことを覚えている。
モスグリーンのマフラーをした男の後方にももう一人、男・・・細身で、その男はマフラーをしていなかった、とにかく細身で背が高かった。その男は後ろから眺めていたのだけれども、私の泣き叫ぶ声に驚いたのか、モスグリーンの男に近づいた。初めは二人でやるつもりだったのだろうけれども、あまりにも私の声が大きくて、怖くなってきたのだろう、やめるように説得しているようだった。その後、モスグリーンの男も諦めたのか、二人でそそくさと立ち去って行った。
その後は、私は・・・家に帰ってから泣いた。
その時に持っていた鞄は、まだ買って間もない好きな鞄だったけれども、持つとなぜか動悸や目まいをするようになったから、暫くして捨てることにした。真ん中についている金色の飾りがお気に入りだったけれども、捨てた。ちょっと勿体無いな、と思った。
細身の男が怖気づかなければ、私はそこで、やられていたのだろうか。もしそうだとしたら、細身の男には感謝しなければならない。モスグリーンの男を止めてくれてありがとう。あなたのおかげで、私は、守られました。あなたが怖気ついてくれたから、本当に本当に、ありがとう。
written by ともこ 2007/08/09(木)
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父が入った棺桶が火葬炉に入っていくのを見ている時にはもう、それまでに流し切ったからか涙は出ず、涙が出ればこの怒涛の如く溢れる黒とグレーが入り混じった重苦しい濃い塊も一緒に吐くことができるのにと思いながら、私は涙を出すことが出来ないまま父を見送っていた。
私の傍には母がいた。母から抱きしめられた記憶がないのに、私は母を抱きしめないといけないような気がして、とりあえず手の平を母の肩の上に乗せた。それから何か思いついた言葉、「大丈夫だから」とかそんなふうに慰めたり一緒に寄り添ったりしていた。
父が病院で息を引き取った後は一旦家に戻り、布団に横たわらせ一晩寝かせていた。もう必要がないけれども「今夜が本当に最後だから」と暖かいコーヒーを入れて枕元に置いたり、何度も横に座っては返答があるはずもない死体になった父の傍に座り、「お父さん、ご飯やで」といいながら普通の食事を置いたり、何か一緒に棺に入れてあげられるものはないかと家中を探したり、そんなことをすればするほど空しくなるのにしてしまった私は、母が死ぬときも同じように悲しむことができるのだろうか。
子は親が死んだら悲しむだろうから、私が陣痛で苦しんでいるときにも「甘えすぎや」と罵倒した母が死ぬ時もきっと悲しむことができると信じたいのだけれども、生まれてからずっと「母を愛さなければならない」という脅迫観念とともに生きてきた私にそんな自信がどこから出てくるというのだろうか。
息子に聞いてみた。
「お母さんが死んだら悲しい?」と。
幼い子どもに聞く質問ではないが私は不安で不安でたまらず、こんな質問をしてみたら、やっぱりなのか、それとも息子は私に気を使っているのかもしれないけれども、息子は大声で泣きながら「いやだいやだ!」と叫んでいた。私が死んだら息子は悲しんでくれるようだ。だったら私も母が死んだ時には悲しんで泣くことができるかもしれないと少し思った。
父の死後も母から聞く父やその親戚の悪口でもうんうんと言いながら反論などは全くせずに機嫌よく相槌を打ちながら、これが親孝行なんだからと自分に言い聞かせ、波風立たぬ距離を保っていても「親なんだから」「大丈夫だから」「私の命を産んでくださった」「すてきなすてきなお母さん」なんだから、多分私は、いや、きっとこの母を愛している。
written by ともこ 2006/09/24(日)
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全部の男じゃないことは分かってる。
・・・だけど
性欲がたまってきたら「やらせろ」。
避妊に失敗したら、「子どもをおろしてくれ」。
それでも子どもが生まれたら「俺は仕事があるから」。
男が「子どもが可愛い」と思う瞬間と言えば、一緒に機嫌よく遊んだときだけ。
子どもなんて、いつもニコニコ可愛くいるわけじゃないんだよ。
泣き叫んだり、言うこと聞かなかったり、食べ物を吐いたり、便だっておむつからこぼれることがある。そういう時は、嫌なんでしょ。
都合が良いよね。
私は妊娠中、高熱を出したことがある。「薬を飲んだら、子どもは保証できません。でも、母体が危ないようだったら、母体を優先します。」と医師に言われた。私は、どんなことがあっても、薬を飲むものか、と思っていた。幸い、熱は引いた。
妊娠初期の頃、よくお腹が張った。張り止めの薬の効果で、流産はしなかった。
出産。息子はすぐに泣かなかった。首に、へその緒が蒔きついていたから。
息子だって、何回も死の危険はあったんだ。こんな赤ちゃんは、いっぱいいる。別に珍しいことじゃない。それでも、赤ちゃんはこの世の中に出てこようと必死なんだ。
出産後は、私が寝ている間にミルクを戻して窒息したらどうしよう・・・もし、鼻水が溜まっていて息ができなくなったら・・・ずっと心配しながら育てた。だって、赤ちゃんなんて、思いもよらない原因で死ぬときがあるから。
出産後暫くは、ニュースを見れなかった。
「傷害」「殺人」「戦争」・・・殴りあったり、殺しあったりするのは男ばっかりだ。
女を使って性欲を満たし、子どもを産ませ、殺しあう。
妻が妊娠してセックスができなくなったら他の女を抱き、出産後は「妻を女として見れなくなった」とか言って他の女を抱く。よくできますね。すごいよ。感心します。どれだけ母親が見ていても、子どもなんて、いつ死んでもおかしくないのにね。
私の旦那は、自分のことを「僕」って言う。
「俺」じゃなくて、「僕」。
「俺」ってなんか、荒々しい感じがするけど、「僕」は優しい感じがする。
私の旦那は、子どもに怒鳴ったりしない。私にも怒ったことない。
浮気なんて絶対しない。
私を求めてきたときに「セックスがしたいの?」って聞いてみた。
「セックスをしたいんじゃない。ともこを抱きたいんだよ。」って言った。
だから、私の夫は、好き。私が信用できる男は、夫だけ。
たまに、時々だけど、男が汚らわしいものに思ってしまうときがある。
まだ書けないけれど・・・多分・・・あの時からかもしれない。
気分を悪くした方、ごめんなさい。私の毒吐きです。
反論もしないでください。お願いします。
written by ともこ 2005/11/07(月)
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