体が太い、もしくは自分で太っているのを気にしてダイエットをする女性は多いようですが、ものすごく不思議なのが「
太るから、食べるのをやめておくわ」と言う太っている女性・・・というか、ウチの
姑。
「
太るから」じゃなくて「
太っているから」の間違いであるとは口が裂けてもいえません。
私としては、健康な体であれば、「太い」っいうこと自体はべつに悪いことではないと思うのですが、一般的には「細い女性=良い」「太い女性=悪い」みたいなイメージを持つ人は多いようで、「あなたは細いですね」っていうのはその女性がその細い体型のことをどんなに気にしていてもOKなのに、「あなたは太いですね」っていうのはそれが例え事実であっても言ってはいけないようです。
で、太っている女性を見ていてすごく不思議なのは、これ以上太りたくないと言いつつ、すごく食べている。特に肉類、スイーツ辺りが多いようです。で、「太るから(正しくは太っているから、なんですが)食べるのやめとくわ」と言って残す食材は、野菜とか味噌汁のお汁の部分なんですよね。カロリーの低いものを残し、カロリーの高いものはちゃんと食べています。
どうしたいんですか?まじで。逆でしょ、逆。
で、ダイエットを挫折する人の多くは、ダイエットを行う際にかなり極端な食事制限をします。例えば、朝食は野菜ジュースだけ、昼食は抜いて、夕飯はご飯にふりかけだけとか。そして、なぜかそれにつけくわえる形でコンニャクのなんかとかそういうのを摂取。
そんな
犬のエサみたいな食生活が、精神的に続くはずがありません。
挫折後は、またダイエット前のお肉中心の食生活に後戻り。それを永久に循環させています。
ダイエットに大切なことの一つに、「栄養バランスを考えて」とよく聞きます。これは、細い人も太い人も体型にかかわりなく大事なことでしょう。でも栄養士並みにメニューを考えるのはなかなか大変なことです。
一番やりやすいのは「野菜中心の生活」です。といっても「野菜だけ」を食べるのではありません。米などの炭水化物や肉などの蛋白質もとって、でも野菜の割合をとても多くするのです。お肉料理の付け合せ程度の野菜ではなく、副菜になるようなおかずを中心にするのが良いかと思います。お肉を食べたい人は、逆にお肉のほうを野菜の付け合せにするくらいの気持ちで。
また、野菜はおいしいのを買います。例えばどこで採れたか分からないような薄利多売の野菜は買いません。生協や、「高級食材」を売っているようなところで野菜を買うと良いかと思います。
そうすると食費が上がるのが気になるかもしれませんが、肉を減らせばその分で良い野菜が買えます。肉ってけっこう高いでしょ?そしておいしい野菜で調理すれば、おいしい料理が作れます。おいしい料理はたくさん食べたくなりますが、野菜の割合が多い料理だったら多めに食べても大丈夫。そしておいしい料理を食べると、また作りたい、また食べたいと思い、挫折することなく毎日楽しく続けられることでしょう。
それと主婦の人でよくあるのが「勿体ないから、最後ぜんぶ食べてしまおうっと」といって、皆に取り分けた後に残ったのをぜ〜んぶかき集めて、自分の口に入れてしまうことです。これでは他の皆よりも一口も二口も多く食べることになってしまって食べる量が増えるのは当たり前で、それに伴い体重が増えるのも当たり前です。たとえ少量で別皿に移すのが面倒でも、次の日の分として残しましょう。
・・・というようなことをいつも言いたいと思ってるの、姑に。
「太るから食べるのやめとくわ」と言いつつ、逆のことをやっている人は意外と多いものです。
written by ともこ 2010/01/28(木)
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新聞投書欄で、「最近は、授乳中にも携帯電話でメールをしている母親がいてて、子どものことをよく見れないのではと心配です」みたいなことが書かれていました。投稿者は70才くらいの男性。
このくらいの初老のおっさんっていうのは、若い親、特に母親に対して色々と説教をすることが大好きです。実際、私も子どもを産んですぐ、「お父さんは昼間仕事で大変だから、子どもの夜泣きには注意しないといけないよ。あなたはいつでも昼寝ができるからいいけど」と近所のおっさんに言われました。当時は私もまだ若かったこともあり、ふつーに傷つきながらも、はいはいとうなずいておきました。心の中では「べつに昼寝してないしー」といじけていましたが。
そもそも、なんでおっさん達は説教が好きかというと、年を重ねたことによって、そういう説教ができる立場になったことが嬉しくて仕方がないからです。
まだおっさんほどではありませんが、私自身も同じようなことを感じることがありまして、自分が子どものころにはさんざん「最近の子どもは・・・」「私たちが子どものころは・・・」というセリフにうんざりしていて、自分が大人になったらぜったいにこういうことを考えたり言ったりするのはやめようと思っていましたが、けっこう同じようなことを口にしているものです。時代が違うのですから、さまざまなことが自分達の時と違うのは当たり前ですが、「最近の子って・・」というセリフを母親同士や夫婦で話をする時に使うと「あ、なんか今、私、めっちゃ大人って感じ〜。かっこいい感じがする〜」とイイ気になります。テレビなんかでも芸能人が「俺の時はこう教えられてきた。最近の親どもは○○だから子ども達は××なんだ」と言っているのを見かけますが、ていうか、
あんたもそんなにたいしたことないじゃん。
私の年代でさえそうなのですから、より年をかさねた60とか70とかにもなったおっさんがエラそうに言いたがるのもムリはありません。とはいえ、けっこう事実を知らないで恥ずかしいことになっている場合もありますので、このブログで説明しておくことにします。
さきほど書きました、「最近は、授乳中にも携帯電話でメールをしている母親がいてて、子どものことをよく見れないのではと心配です」ですが、私が息子を授乳していたころは、今ほどメールも普及していなかったですし、携帯電話も持っていませんでした。なので私はメールをしながら授乳というのは経験がないのですが、多分お母さん達からは共感を得られると思うのですが、赤ちゃんがおっぱいを飲んでいる最中って、案外
ヒマです。
乳飲み子を抱えていると、昼間は家事をしながら子どもを見ながら、夜は子どもを寝かしつけながら授乳もあったり、夜泣きでずっと抱っこをしていたり、けっこう忙しいです。私は何が一番大変だったかというと、事故にあわせないようにするのに神経を使っていました。自分がトイレに行っている間のほんのわずかな時間でも、事故にあえば大怪我になったり命を落とすこともあるので、ゆっくり入ることができません。まあでもその甲斐もありまして、おかげさまで
短時間で「大」をする技術が身に付きました。 子どもがおとなしく寝ているからといっても安心はできません。
SIDS(乳幼児突然死症候群)というのはいつおこるか分かりません。だって、何の予兆もなく、突然死ぬかもしれないんですよ。めっちゃ怖いじゃないですか。だから、子どもが寝ている間もずっと気にしていました。「あなたはいつでも昼寝ができる」とぬかした近所のおっさんに関しては、
昼寝なんかできるかこのボケカスがってことです。
唯一、ゆっくりと、そして安心できるのが、授乳中です。私は母乳派だったので、おっぱいから子どものことが伝わりますし、哺乳瓶の人も抱っこで子どもの体温を感じることができます。少なくとも、授乳中は転落や誤飲といった事故にあうことはありません。まあ、隕石(いんせき)が宇宙から落ちてきて屋根を突き抜けることがなければ大丈夫でしょう。また、授乳中に家事ができるわけではありませんので、けっこう手持ち無沙汰なんですよね。授乳中以外は、ずっと神経を張り巡らせて子どもを見ているわけですから、こういう時くらいホッとしたいというか。
私は授乳中にヒマだな〜と思ったときは、普段あまり読めない雑誌を片手でパラパラめくったり、保育士資格に挑戦しようかなと考えていたころだったのでその勉強のためにテキストを見たりしていました。息子が赤ちゃんだった時の授乳時間というのは、貴重な「自由時間」だったのです。
授乳中の時くらい、メールしたって良いじゃんねぇ? それと赤ちゃんはおっぱいに夢中になっているから、お母さんがメールをしていても、あまり気付いてないかも。っていうか、授乳中くらいしかメールする時間がない人もいるでしょう。その他の時間にちゃんと向きあって育児をしていれば、全く問題ないと思います。
・・・まあ、おっさん達にはそんな経験があるはずもなく、理解しなさいといってもムリでしょうし、
どうせおっさん達の方が早い時期に棺おけに入ることになるのですから、ちょっとくらいイイ気にさせてあげてるのもいいかもしれません。年長者を敬うことは大切なことです。
written by ともこ 2009/12/24(木)
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先日、ニュースを見ていましたら、子どもの貧困問題は深刻で、給食以外の食べ物は与えられないために体調をくずし、保健室に駆け込む小学生が映っていました。単純に、「その子、かわいそう」って思いました。
「子ども手当」を所得にかかわらず、全ての子どもに支給されるようですが、初年度の1万三千円をもらったとして、その親がちゃんと子どもに食べさせるのかなという疑問は残ります。
1万三千円を全て子どもの食費に当てるならば、一日あたり400円の食事を与えることができます。400円だったら、少なくとも「空腹」を満たすことはできるでしょう。給食もあるし、パン+卵くらいは朝に食べてこられるよね。でも、それをこの子の親がしますか?ということです。
結婚してすぐ、私は「一体どこまで節約して生活ができるだろうか」ということを思い、やってみることにしました。給料とは関係なく、住居費をのぞいた生活を10万円以内でやってみようと。まだ夫婦二人でしたが、食費や光熱費、新聞代、雑費、夫の小遣い○万円なども入れて、全てを10万円以内でするというのはけっこうすごいと思います。結果、8万円以内で生活できました。住居費7万円以内で住める所を選べば、夫婦二人なら月に15万円以内で生活できることになります。
何ヶ月か続けてると、慣れてくるし、楽しみ方も分かってきます。もちろん、初めから給料が少なくてするのと、私のように
夫の給料はわりとある状況で、趣味とか実験みたいな感覚でするのでは精神的なしんどさというか、「切羽詰った感」は違うでしょう。それでもいちおう
物理的には低予算でも生活できるということを実感できたので、私にはこの先どんなことがあっても大丈夫、という自信があります。
で、私はこれをすることができましたが、「じゃあ、あなたにもできるわよ」って言うことはできません。なぜならば、人によって「生活能力」が違うからです。私には「生活能力」がそこそこありました。もうちょっとゼイタクするようになった現在だって、頭の中ではゼニのことばっかり考えて生活してますので(やらしいやろ〜)、日々鍛えられていると思います。しかし全ての人に「生活能力」があるわけではありません。
知人で「夫の年収は決して低くはないのに、お金がたまらない。月末になったら苦しい」となげいた人がいました。彼女も「児童手当がもらえない」と言っていたので夫の年収は800万円以上あるんでしょう。しかし彼女は真剣に悩んでいるわけですから、「えー、そんなにあるんだったら余裕でしょ〜っ!」っていう世間一般の反応は全く効果ありません。夫の「経済力」があっても、彼女には「生活能力」がないのです。
例えば学生時代の学校での成績。教科書を一度読んだだけで全部頭に入り、塾や家庭教師に頼らなくても現役で東大に受かる人もいれば、どんなに頑張って勉強しても、底辺大学にさえ受からない・・・これはその人の「能力」がないからです。「努力」が足りないんじゃなくって「能力」がないのです。「能力」のない人に「私は教科書を一度読んだだけでいつも100点が取れてたのよ。だから、あなたにもできるわよ」と言ったところでムリなはずです。
生活もそうです。「ウチでは夫の手取りは18万円だけど、子ども2人の四人家族で楽しく生活できていますよ。その倍以上はもらっているあなたが生活できないはずがない」と言ってもムリなんですよ、彼女には。
とはいえ、全く希望が持てないわけではありません「能力」は「努力」で上げることができます。それにはまず、「やり方」を知る必要があります。「能力」がない人の多くは「やり方」を知らない人が多いでしょう。「やり方」を知れば、「能力」を上げる方法を知り、最終的に「能力」を上げる可能性が出てきます。ただし、あくまで可能性が出てくるのみです。「やり方」を知っても、それを実行できるかどうかはやはりその人の「能力」にかかっています。しかし可能性を与えるだけでも、少なくとも希望は持てます。
これで勉強ができますよ、と言ってノートとペンを与えたとしても、本人がその使い方を知らなければ、ただのラクガキ帳として使ってしまうでしょう。そして案外それは本人としては遊んでいるつもりではなく、一生懸命何かをしようとした結果がラクガキ帳になってしまっていたということもあるのです。ですからそのノートとペンを渡すと同時に、使い方を教えてあげなければなりません。
「子ども手当」を支給するのも良いでしょう。現金が手に入れば少しは「経済力」がつきます。ただ、それを有効に使える「生活能力」も同時につくということとは、別問題です。
思うんですけど、やれ○○手当だの○○給付金だのと、いかにも救済してます感のお金を配布するのはいいんだけど、「生活能力」をつける「やり方」も教えてあげんといかんのとちゃうかな〜。
・・・まあ、とりあえず、わたしとしては「子ども手当」に所得制限を設けないみたいなので、よかった〜って感じ! それと、岡田さんがやっぱりかっこいいのでなんでもいいわ。
↓この写真も好き。
written by ともこ 2009/12/22(火)
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